株式会社アストレイズ
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そんなわけで、12期が終わりました。2024.3.3.

株式会社アストレイズ、最後のミステリーツアーを経て、2月末をもって、第12期が終わりました。
怒涛の12期。


事件だらけの1年。
大幅なスタッフの入れ替え。
業界で阿久津さんの次に一番長く一緒に仕事してきた相棒との合流。

そして新しいアストレイズの再構成。
新しいクライアント。新しいお仕事。
そして、準備万端での、13期への突入。
13期は、バタバタすることなく、組織だって、新しいお仕事をこなして行きます!

今更ながら、ミステリーツアーの顛末を書こう。2024.3.3.

例の旅から1週間経った。単純に旅行で圧迫された仕事スケジュールをこなすために、このブログを書くこともできず、今ようやく落ち着いてこの事件の顛末を綴る。

色々あって、8時に羽田「第一ターミナル」に集められたアストレイズの面々。フライト2時間前に集合は基本だが、そもそも国内便で、2時間前って、何?
出発前最後の確認では、香港を経由して、6時間かけて迂回して台北に向かうという話だったはず。
そもそも第一ターミナルでは、WIFIルーターを借りることも、お金を換金することもできない。とはいえ、前日まで旅行に行けるかどうかもわかっていなかったので、誰も換金などしていない。
で、飛行機が向かったのは、なぜか岡山空港。

なぜだ。そもそも、岡山在住の社員の合流方法でスケジュールの調整になったのではなかったのか。

で、ここで2時間半も時間を潰すことになる。飛行機が30分遅れたからだ。

正直、何もない。岡山の社員に連絡をして、顔を出さなか、とも聞いたのだが、そんな簡単に行けるような場所ではないらしく。かなり山奥らしい。

とりあえず名物飯だけ聞いて、食事で時間を潰すことを試みる。

おすすめは、デミカツ丼だというので、岡山ラーメンを食べる。だって、デミグラスソースととんかつ、さらに白米なんて、ちょっと、少なくとも僕の好みじゃあない。

で、その空港に小さいながらも外貨を扱う銀行があったため、皆で並んで仲良く換金。

と、なんと、私の番になって、会社全体で使うお金もあるので、多めに換金を、と思ったところ、もう、台湾ドルの在庫がない!嘘でしょ!そんなことある?

しょうがなく、大量の日本円を抱えて、一路台北へ。ついた空港は、市内の松山空港をイメージしていたのだが、郊外の桃園空港へ。なぜだ。ここも違う。

しかも構内の換金所は、すでに閉まっている!どうする、この後の食事代が会社持ちだとしたら、カードで払うか…!そういえば、幹事が航空券の購入が、場合によっては会社のカードでの決済になるかもしれないから、預かりたいと言っていた。じゃあ。自分のカードで?おもちゃ屋に行くとしたら…?

とはいえ、税関外の換金所を見つけ、なんとか台湾ドルをゲット。バスで一路台北市内へ。

サービスに出されたタピオカミルクティーなどを飲みながら、夜景ながらも海外の景色を楽しみながら、一応、夜遅くの到着とはいえ、観光的なことを経験してほしい!という願いを込めて、夜市にも行きたかったのだが、曇って肌寒いこともあり、台北市の象徴的タワー、台北101へ。

なんだろう。ゴーストバスターズで見たことあるような恐怖のタワーだぞこれ。

あと30分で閉館ということで、大慌てで展望フロア入り口へ移動。ところが、すでに今日は閉館、ということ。曇りが酷すぎて、危険だということだ。外にも出れるしね。そもそも外もほとんど見えないらしい。

しょうがなく、せめて、と初日は諦めていた、開いているトイザらスを検索して、移動。そなりに社員が喜んでいたようなので、納得。ただ、食事も、初めての海外旅行という社員もいるので、一旦落ち着いた飲茶あたりから、と、101の下にある名店をイメージしていたのだが、移動したこととそもそも時間の問題で行けず、初日からかなり濃い目の台湾料理の店に。

謎の食べ物に苦戦しつつ、ホテルに。結局集合から12時間かかって台湾につき、おもちゃ買って飯食っただけ。なんだこれは。

翌日。

当初の予定は、台北の問屋街を歩き、台中に移動し、観光地を回り、夜九份という台湾屈指の観光地に行って、最後夜市に遊びに行く。そんな台湾満喫ツアーであった。あと、前に台北に行った時に入った多国籍料理のビュッフェの店があり、面白かったので、そんな店も行きたいね、という指示もしていた。それは、事実だ。

だが、すでに冷静さを失っている感じとツアー会社は、一旦台中に向かうのをやめる。これはこれで、回れる場所を増やそうという判断ととり、いいね、他の場所を色々回るのだろうと考える。

で、向かったのは、幹事の言葉を借りると、「台湾で一番有名な大統領の遺体が安置されている場所」という謎の場所、そこで、衛兵の交代のシーンが観れるらしく、行こうという話に。日本に帰った後に、「蒋介石」だと判明。それなら、日本人も知ってるよ…

で、その近隣にある、かつて日本軍が作っていった、古い街並みがある場所で、観光と洒落込む。この時は平和だった。天気もギリギリ保ってたし。

ここで、路地裏で謎のお婆さんが一人でやっている怪しげ極まりないおもちゃ屋で、怪しげ極まりないおもちゃをゲットしたのは、ラッキーであった。

その後、巨大な玩具問屋に突入。いつもの問屋街に行くつもりだったのだが、これはこれで、まあ、いいか。

で、ここから不思議なことが起こる。なぜか、昼食に、多国籍ブッフェに行くことに。え?昼にビュッフェ?え?どゆこと?しかも、会計は会社持ちで。それも急に言われる。いや、早く言えよ。

かなりの満腹状態で、九份に向かう。幹事の話だと、向こうのほうが天気は良いということ。

ところが、車が進めば進むほど、雨がひどい状態に。最終的には、ザーザー振りの中、九份に到着。

私も、九份は4度目。仕事や観光で何度も来ている台湾。出入りした回数は、祖国南アフリカ共和国をそろそろ凌ぐぐらい。それでも、夜の九份は初めてなのだが。

人多いよ…

動けやしない。

なんとか雨に打たれながら、端っこまで行って。「千と千尋」で有名な例の階段に至っては、近づくこともできないレベルの人の量で、諦めて降る方ではなく、登る方を選んで、とりあえずそれらしい写真をゲット。

体も冷え切った私たちは、当然夜市に行くこともかなわず、最初にいきたかったのとは違う飲茶屋さんで、食事。その時に全員の願いは、「早くホテルに戻って、風呂に入りたい!」

で、ホテルに戻るのだが、結局翌日は、例の香港経由フライトということで、飛行機は昼に飛ぶらしく、何もできないままホテル乗るロビー10時集合で、帰国ということに。結局初日と3日目は移動オンリーかよ!なんて費用対効果の悪い旅行だと嘆いていると、初めて海外に来た若手が、もう少し色々なおもちゃを探したかったという少し、悔いのある言葉を。

こりゃあ、一肌脱ごう!と、集合が遅い時間だから、タクシーでも拾って、有志を募って朝方トイザらスに行くとか、なんとかできないかと調べてみると、桃園空港の近くにも、トイザらスがあるじゃあないか!

早速若手の社員と幹事にメールで連絡。集合を実は、ここから本当の悪夢が始まる。

早速幹事から、メールの返信が。ただ、そこには、電話をしたいので、部屋番号を教えてほしいとのこと。

なんだろうと電話を待つと、成田行きの航空券が手配できそうなので、手配してみた。

成田かよ…

で、ただ、手配したところ、実際に購入できたのは、私と、同い年の別の社員の2名のみ。

へ、じゃあ、他の社員は、どうやって帰るんだよ!

名古屋までの飛行機をとりました。

なぜだ。

名古屋空港から名古屋駅までの足などは、向こうで代理人を用意すると。

やばいな、これは。と思い、すぐに名古屋出身の社員に事情を話し、自分たちだけで移動できる段取りを組ませろと指示。新幹線代は、会社で建て替えて最終返金で処理すると。

意味がわからん。

とにかく。全員にすぐに伝達せよとの指示を出し、もう不貞寝することにする。

翌朝、ホテルのラウンジのテーブルの一角に社員が集まり、食事する背後に、大きい体をかがめた幹事が立ち、やってくる社員一人一人に詳しい内容を説明。結局、でも出発時間が変わらないなら、早めに出てトイザらスはいけるんじゃない?と、最後の望みを聞いてみると、名古屋組の飛行機は、成田行きよりも30分早いと。え、じゃあ、集合時間はそもそもはやめないとダメじゃないか?

で、大慌てで全員部屋に戻り、帰り支度。それでも結構ギリギリの時間に到着して、慌てて残った会社のお金を日本円に直し、名古屋組のリーダーに持たせ、名古屋組を見送って、自分は成田方面へ。ちなみに成田からは、東京駅までバスで1時間40分。そこから1時間かけて自宅へ。香港経由しての羽田とほとんど変わらない所要時間。

羽田ならバスで40分なのに。

そこから、2時間ぐらいを待って、名古屋組から続々帰宅のメールが。よしよし。なんとか終わったぞ。あとは、親が入院したので、台湾に残ると言っていた幹事は…。

あれ、二人で仕事分担して、月曜の午後イチぐらいまでにプレゼン用のスケッチを仕上げる予定だったのでは?

確認したところ、イラストの原画データは持ち帰っておらず、帰るのは月曜の夜だという。

ということは、土曜8時帰宅から、旅行荷物の片付けをしつつ、」月曜日の午後までに一人で、8枚のイラストをクリンナップせよ、と。

あああ。ここからが本当の地獄が始まる…

ミステリーツアーにようこそ。2024.2.22.

さて、弊社もぼちぼち期末です。コロナやいろいろな事があって、2年前に10周年を迎えたのに、記念に海外!を社員に約束していたのに、連れて行けなかった私。そこで、今年は、2年ぶりに海外に行くぞ!ってなりまして。
で、今日出かける昨日。
朝会社に行って、結局行けるの?
からのスタート。
実は、1週間前ぐらいから、チケットに不備があり。やたら朝早い便になってしまっため、変更できないか、という問い合わせに端を発するのだが。
そこから、岡山在住の在宅社員の社員の前のり、などの問題や、結局行けなくなったりとか、向こうの旅行業者が変なチケットを取ってしまったりとか。ちょっとしたパニック。
なので、前日まで、行けるかどうかすらわからない状態。
なので、その日の2時までに決定しろと指示。
ダメならちょっといい焼肉屋で納会をしようと提案。
業者が海外(台湾)なので、時差を考え、向こうの昼休み明けの確認までを指示したのだが。
そこからがちょっとした冒険。
航空会社がチケットの空発行をしていたらしく、最初の提示が、3便ぐらいに分けて行くのはどうか。
香港を経由して、戻るルートはどうか。
もうしょうがないので、いいからそれで!と指示を出し、夜の8時ぐらいに、香港を経由して台湾に戻る、謎の片道6時間のルートを選択。で、チケットの確保が終わって
1回目。出発地は成田です。
無理!
2回目、確保したチケットは、最初と同じ、朝羽田6時集合。
いや、無理!
で、最後、8時集合10時発で、撮り直しさせます!と強気な幹事を置いて、しょうがなく、その仮予定で準備もあるので一旦帰宅。
帰宅後、11時ぐらいに電話あり、岡山を経由する、という謎のルートの提案。
もう、好きにして。
寝るわ。
って、在宅で移動が難しくて断念した社員は、そもそも岡山在住じゃん…!
寝る寸前に頭を抱える。
で、朝。メールをチェックすると、第1ターミナルに集合との指示。空港バスは、ターミナルは自己申請なので、切り替えはできるけど。結局僕らはどこに行くのか。
アストレイズは、無事社員旅行をすることができるのか。
言った先の予定も、仮置きのまま、最終決定はわからない。
泊まるホテルの名前も、誰もわからない。
先のわからない冒険が、今、始まる!

2024、あけましておめでとうございます。2024.1.5.

実は、ホームページを更新しました。

で、毎年仕事納めにブログを書くのですが、ブログのアドレスが変わってしまって、

問い合わせ先もお休みなので、

書くに書けなかったんですね。

なので、年始のご挨拶です。

今年の年賀状が、こんな感じです。

実は、会社設立から、12年が経ちました。

会社を作った時に、弊社の仕事内容を説明しやすいような年賀状を作ろうというのと、実は前職でもシリーズの年賀状を手掛けてたのですが、それが独立で途中で終わってしまって。

その悔しさもあったので、今回は、会社の存続も目指して12年企画をやってました。

それも、ついに完了です。なんと、丸っとデザインから設計、出力、塗装まで。

バカですね。

しかも、この企画を始めた時、最初にデザインを作っちゃえば、と思ってたのですが。干支は毎年変わるので、毎回新しいデザインを作って、それに合わせての進行なんですね。なので、12年目は、かなり過酷な状態になるわけです。

では、せっかくなので、作業工程を説明しましょう。

まず、ラフイラストでデザインを起こします。変形構造から作っていって、変形構造にほぼ問題がなく、やたら細いヒンジとかのいらない構造をベースに、ディティールを載せていきます。

で、いきなり設計。この辺がアストレイズらしい仕事。実際に変形させてみて、単純化したり構造的に問題がある部分を補正、デザイン的にも設計者が勝手に弄っていく。でも、バランスがちょっと気になる。もう少し足長いほうがいいか。

変形構造的に、こういういじりがしやすいようにしておいたので、簡単な指示で、バランスを調整。

で、色指示資料を作成。設計データをベースに、色を決めていく。別に製品にするわけではないにしても、変に色が数が増えないように、5色ぐらいでまとめる。イメージは、まんが日本昔ばなしの龍の色。デザインの段階で、ざっくりこんな色をイメージしていたので、側面のラインは、デザインの段階で、最初っから赤でイメージしてました。

出力して、塗装。で、写真を撮影。色々ここでも、ポージングなどに指示を出して、撮り直しを行う。

で、年賀状の基本レイアウトに落とし込んで、終わり。

これが、一連でできてしまうのが、弊社のウリですね。製品の開発では、ここにクライアント様の意見などを入れながら、進めるわけですが。

そんなわけで、この12年計画も終わり。

さて、来年から何しようか。

あと12年続けるのは、やだなあ。

来年からは、僕が何もしないで社員だけで進む年賀状にしよう。

ときた先生!いつもお世話になっております!2023.7.30.

漫画家、ときた洸一先生の画集が、この度発売されました。

この度、ありがたいことに、著名な皆様と共に、阿久津さんと私と、コメントをお送りさせていただきました。

感謝です。

思えば。

僕がこの業界で本格的に仕事を始めたのが、コミックボンボンのプラモウォーズ。

大学4年の夏休みにとある玩具開発会社を受け、そのままバイトで入った際に、阿久津さんと出会い、

その後、大学の授業が終わる12月頃に、急に呼び戻され、ボンボンの作例が作れないか、と言われて、なんとなく作ったものが、そのまま掲載されることになり、そのまま年末からその会社に居着いてしまい、4月から正社員になる前から、連載が決まってしまった。

そんな時に、Gガンダムの漫画を連載していたのが、ときた先生。

翌年のウイング、エックスとコミカライズ版を描かれていて、同じ雑誌のお仕事ながら、一番の王道を進まれている、ボンボンのフラッグシップを取ってらっしゃるという印象で。

僕自身がデザインを担当したり、作例を作ったり、作例→イラストで、阿久津さんと一緒に謎のMSVをやったりと、

結構ボンボンでは色々な仕事をさせていただき。

そんな中、なぜか(色々ありまして)私たちがオリジナルのガンダム企画をやることとなり。

デザインは阿久津さん。当時の上司をリーダーに、2年目の僕が機構試作担当として、途中からカラーリングも担当。今も一緒にやっている当時新人の造形担当は、作例担当。右も左も分からないなか、新しいガンダムシリーズを立ち上げるっていう大掛かりな仕事を手がけることに。

これのコミカライズを手掛けてくださったのが、ときた先生。ボンボンのフラッグが手がけることで、G-UNITはボンボンにおいて、まさに表紙を飾れるフラッグシップな漫画に。

本当は、コミックジャパンっていう雑誌の立ち上げのフラッグにもなるはずだったんですけどね。そこは、触れずに。

そんな中、ちょっとした事件が。

劇中に登場する敵のリーオーの作例をボンボン用に作ったのですが、これが評判が良く、ホビージャパンで初めて作例記事を書くことに。

そこで、社内でそう呼んでいたのですが、愛称のつもりで「3バカリーオー」とジャパンの記事に書いてしまい、その件で、バンダイの担当様から、ときたさんが非常にご立腹されていた、と伝えられ、いつかお会いする事があったら、ひらにお詫びせねば、と心に誓い。

とはいえ、直接お会いすることもないままに、G-UNITは完結。その後色々な仕事をしながらも、ときたさんとお会いすることは無く。

しばらくして、ガンダムSEEDの企画が立ち上がり、阿久津と共に、今度は私がリーダーとして参加。企画立ち上げ時の色々なプリプロに参加する中、本編と並行で外伝をたちあげるという企画をすることになり、ガンダムアストレイを生み出すことに。

アストレイってのは、不思議な子で、ある日気づくと、3色になりました。とトリオになったり。

そしてある日気づくと、講談社にいたはずのときた先生が漫画を描くことになり。

すげえ!さすがときたさん!ガンダムのある所にときた洸一ありだ!で、ようやくアストレイの仕事で初めてお会いすることができ、ようやく直接お詫びすることが出来たのです。

それから20年、ガンダムアストレイと共にお仕事をご一緒することになり。

懐かしのG-UNITも新作を作ることに。新作では対談もさせていただき、25年も経って初めて、LOブースターっていうふざけた名前をつけたのが、お互いがお互いを疑っていて、犯人が当時のバンダイの担当様だということが判明。

阿久津さんも僕も、基本、あんまりガンダムにリアルっていう概念を持ってなくて。

面白いおもちゃを作るフォーマットだと思っている節があり。なぜか、コンビになって30年近く経ちますが、そこだけは、最初っから同じ感覚で仕事をしてて。

G-UNITもアストレイも、その僕らの感覚が満載で、正気を疑うようなロボットを次々送り出し、それをガンダムにしてくれたのが、ときたさんっていう感じですかね。

でも、G-UNITの世界観を作ってくださったり、楽しい3バカリーオーという味のある敵キャラを作ってくれたり。

突然レッドフレームの腰に日本刀をつけてくださったり、羽を生やしてくださったり。

ときたさんからのパスのおかげで、今まで生きてこれたキャラクターになってくれた、とも思っております。

本当に、感謝!

本当は、こんな長い話を書きたかったのですが、200字以内っていう話だったので、非常に表面的なことしか言えず。

ただ、阿久津さんはボケ倒した長文を珍しく用意してくれたので、結構なコメント尺を頂いてしまいました。

見本誌もいただきました!今まで色々お聞きはしていたのですが、聞くに勝る仕事の歴史と物量。

次にお会いすることがありましたら、色々教えて欲しいことがいっぱいです!

 

あけまして、おめでとうございます!2023.1.1.

昨年は色々お世話になりました。

毎年、仕事納めにはブログを上げていたのですが。

最近忙しすぎて、なかなか対応ができず。

去年も、色々なおもちゃを皆さんにお届けできたのではないかと思っております。

今年もまた、面白いもの。びっくりするようなものを、皆様にお届けできれば、と考えております。

そんなわけで。

来年もよろしくお願いいたします!

おもちゃショー2022開催です2022.6.15.

おもちゃショーです。

待ちにに待ちました。

大学生の頃から行ってたので、30年ぐらい通ってたでしょうか。

一度、3月のおもちゃショーがなくなり、横浜で一度謎のイベント形式で行われたやつを挟んで、

復活。それが、コロナで2年も行われず。

ついに復活です。

まだ、一般の方を入れるレベルには達しておりませんが、

来年にはきっと。

今からワクワクです。

仕事が手に付かないー!

プラレールの超技術。2021.9.15.

モーターとダイナモは同じ構造物である。

なので、モーターの玩具を手で押せば、充電ができるはず。

よく、冗談で話すネタではある。

モーターを回すためには、それなりの電力が必要で、それなりの電力を作るためには、恐ろしい回転数がないと、発電ができない。

なので、そんなことは出来ない。それが、当たり前でした。

ところが。

できるのです。不思議ですねー。

その不思議を可能にするのが、

テコロチャージシステム。だそうです。ああ、早くバラしたい!

さすがは技術のトミー。しかも、今の時代に非常にマッチした商品仕様。これは、売れる!

そもそもプラレール。定番なので、あまりにも普通に扱われていますが、実は、すごい技術の塊なんです。

そもそも、2速変換可能なギアボックスが、オフにすると、手転がしができる。しかも、6連ぐらいの重連を引っ張るパワーを出せるって、結構異常ですよ。ギアボックスのレイアウトもピーキーすぎて、ちょくちょく子供がバラして、お父さんが組めずにおもちゃの病院に来るケースが非常に多かったです。

そのぐらいにすごいのに、進化もする。

そんな中で、この10月、ついに、電池も不要になりました。

すごいですねー。

こういうものに興味を持った子供達が、また、新しいイノベーションをする時代が来ると、楽しいですよね。

ちなみにもう一つ。しゃらっと発売しているくせに、すごいのが、

今年の3月発売の、機関車トーマス、ケンジとトーマスのおいかけっこセット。

映画のシーンを再現できるモデル、で、劇中、調子に乗ったケンジがトーマスを引き離して一気に走り出して、途中エンストして最後トーマスに押してもらうという。

そのために、ケンジは、スタート時、トーマスより早く、途中で止まって、何の操作もなく押されて走行できねばならない。

そのために用意したのが、プルバックゼンマイ。そのスピードは、モーターのトーマスより早く、でも周回で追いつかず、そこそこで止まる、という、非常に微妙な調整が必要なもの。

プルバックって、そんな設計が可能なのか?

不思議極まりない。

やはり、技術のトミー。

令和になっても健在!ですね。

さて、次のキャラクター作りを目指して。2020.12.6.

新作です。

コードギアス 奪還のゼット。

メカニカルデザインで参戦です。

最初のギアスの企画始まって、もう15年にもなりますか。

実は、初期のコンセプトワークからのお手伝い。

TVシリーズのゲストメカとか、 ホびージャパン連載のお手伝いとか、いろいろ裏方としてやってきたのですが、

今回、阿久津さんが初のメインです。

アストレイズとしては。

新しいキャラクターを作りたく。

過去のキャラクターを必死に掘り返すのでなく、

新しいキャラクターを生み出し、世の中に出していく。

その上で、それが商品になってくれて、次の10年また新しい商売ができるような。

そういうことが、キャラクターをメインにしている日本のおもちゃ業界に必要なことではないかと。

なので、まだもう1キャラ、仕込みがあります。

それは、またのお楽しみに。

夢の果て、虹の向こう…2020.11.20.

おわっちゃった。

足掛け2年。

「ワタル。お好きですよね」

そんな話から、ワタルの販促用に、新しいアニメを作ろうって話になって。担当さんと二人だけで始めた企画。

3つぐらいのお話を考えました。

ワタルの子供の話とかね。

いろいろ。で、その中の2つの話を混ぜて、今の「七魂の龍神丸」のもとになった話がまとまって。

企画書作るために、蒼い龍神丸と赤い龍神丸を描いたのが最初。

で、サンライズにプレゼンして、サンライズさんのほうで、こちらの企画をタタキに、ストーリー作りが始まって。

井内監督、芦田先生もすでに他界されていて、誰が取りまとめるのか、という状況の中で、

神志那監督がバトンを受け取ってくれて。

並行して、魂ネイションでの発表があるっていうんで、慌てて龍蒼丸を一気にまとめて。

最初の立体物は、背中が違うんですよ。羽は後から生えたので、剣も斜めに背負ってたんです。

で、他の6体をいろいろ考えて。でも、龍神丸がたらなくて。

龍虎丸は、最初から決まってました。デザインは全然違って、龍に変形するってシロモンでしたが。邪虎丸と混ぜるってのは、決まってて。

で、7体もあると、キャラが上手く振り分け出来ないので、いっそ、侍の龍神丸と、忍者の龍神丸を作ってみたら?あの2体をベースに。

って、龍戦丸と幻龍丸が出来上がって。空神丸は、いろいろあって、新星龍神丸に。プロデューサーの希望で、鳥神丸も混ぜ込んで。最初はこの子が緑だったのですが、幻神丸ベースの機体がオレンジは変だろうって、入れ替えることになって。

そんなこんなで、龍王丸ベースの最後の子だけがまとまらなくて。

龍王丸のデザインの仕上がりが素晴らしすぎて。後、自分で縛りをつけた、7本の角がまとめられなくて。

あるとき、打ち合わせの際に、なんか、降りてきたんです。3本爪が、でっかい玉を掴んでいるビジュアルが。龍神丸のデコに、丸い球体が嵌っていて…。落書きが一気に進んで、「いっそ全然変えちゃって良いですか」と、作ったのが、煌龍丸。鳳凰形態すら後付け。とにかく形が決まっちゃって。

で、そこからは、いろいろあって。ホビージャパン用に敵をデザインしたり、作ったり。商品のパーツ構成をして、設計の進行、デコマスの進行。デザインから製品化まで、リリース用の試作から、神部新聞用のイラストまで。魂ネイションのジオラマ作成から、実際の展示まで。とにかく、ありとあらゆる作業に走り回って。

気づくと、あっという間に最終回の放送。

ワタルは、父親の背を追う物語。

ワタル2は、父親を超える物語。

今回のワタルは、父親を救う物語になって欲しかった。

作品としての進行時は、メカニカルデザインとして。製品化の際には、製品開発担当として関わることになった私には、

そんなストーリーのテーマには触れられない立場だったのですが。

神志那監督のワタルへの作品愛が、偶然にも、同じテーマを拾ってくれました。

消えてしまった龍神丸=父親。その父を追って友と旅をして、最後に、その父を否定して、目を覚まさせる。

素晴らしい。言うことなしです。

大好きだったワタルっていう作品の1ページに、自分の名前が載って、その作品に関われたことに深く感謝です。

後、応援してくださった皆様。温かいワタルファンの皆様に、感謝です。

夢の果て、虹の向こう…

 

 

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